その後、大学病院に戻り、同期の医師から感染症治療、とりわけ救急外来で入院が決まった患者さんの静注抗菌薬の選択について質問されることが多くなり、せっかくなので最低限これだけ知っていれば救急外来での抗菌薬投与で大きく外すことはないという知識をまとめてみようと思い立ちました。
もちろん詳しくは矢野晴美先生の「感染症はじめの一歩」や青木眞先生の「レジデントのための感染症診療マニュアル」などを参照してほしいのですが、忙しい救急外来の場で本当に必要最低限の知識が欲しい方向けにごくごく簡単にまとめてみようと思います。
なお、情報の正確さには気をつけて書いたつもりではありますが、元々内輪の勉強会で使う目的に作成された資料の一部であり、その使用により何らかの不利益が生じても一切の責任は持てませんので、自己責任でご利用下さい。
さて、救急外来という場においては基本的に「この菌をカバーしなければ患者さんが死んでしまうかもしれない」菌を empirical に治療できる抗菌薬を選べば良く、ポイントとなる菌は驚くほど少ないので覚えておくべき抗菌薬の種類も必然的に少なくなります。
まずはポイントになる菌の種類を覚えましょう。必要最低限覚えておくべき菌は次の5種類です。
① 皮膚の常在菌(主にグラム陽性球菌)
② 腸内細菌(E. coli, Klebsiella, Proteus)
③ 嫌気性菌
④ 緑膿菌
⑤ MRSA
これら5種の菌をメルクマールにして投与すべき抗菌薬が大きく変わるのでしっかりと覚えておきましょう。
なお投与量については腎機能調節が必要なものがほとんどなのでサンフォード感染症治療ガイドを参考にしてください。英語が読める方なら iPhone アプリ版 も便利です。
糖尿病などのリスクのない蜂窩織炎など
【使用する抗菌薬】
セファゾリン(商品名:セフマゾンなど)
【投与量】
まずは 1g 投与、その後は腎機能で調節。
特に既往のない患者さんの皮膚の常在菌はほとんどが黄色ブドウ球菌や連鎖球菌などのグラム陽性球菌であり、セファゾリンでカバーできます。術直前に SSI 予防にセファゾリンを投与しているのもこのためです。
ただし、救急外来でセファゾリンを使う機会は余り多くありません。というのも入院を要するような蜂窩織炎を呈するのは糖尿病患者などの免疫能が低下している人であることが多く、後述しますがそのような場合は基本的に ⑤ MRSA のカバーが必須でバンコマイシンを使わなければいけないからです。
【どういう感染で想定するか】
リスクのない若年女性の腎盂腎炎など
【使用する抗菌薬】
セフトリアキソン(商品名:ロセフィンなど)
【投与量】
肝代謝されるので腎機能調節不要。基本的に 1g を24時間ごと投与。
特にリスクのない若年女性の腎盂腎炎など、腸内細菌の感染が考えられる場合はセフトリアキソンでカバーができます。感受性によってはセファゾリンも使用可能ですが E. coli などで耐性があることが多いのでまずはセフトリアキソンを投与しておいたほうが無難です。女性は尿道と肛門が近いので肛門周囲からの腸内細菌が逆行感染の形で腎臓まで至るんでしたよね。
さて、よく勘違いしている学生さんや初期研修医の先生がいますが、腸内細菌は確かに腹腔内にいる細菌ではあるものの腹腔内で一番多い細菌ではありません。腹腔内で圧倒的多数を占めているのは Bacteroides と呼ばれる嫌気性菌で、実はこれらはセフトリアキソンは全く効きません。したがって嫌気性菌は腸内細菌から独立させて考えないといけません。
【どういう感染で想定するか】
虫垂炎や回腸末端炎など(あるいは誤嚥性肺炎)
【使用する抗菌薬】
アンピシリン・スルバクタム(商品名:スルバシリンなど)かセフメタゾール
【投与量】
アンピシリン・スルバクタムはまず 3g を投与、その後は腎機能で調節。
セフメタゾールはまず 1g を投与、その後は腎機能で調節だが Sanford には未記載。投与量については国立国際医療研究センター感染症科の大曲貴夫医師の手引を参照のこと。
さて、腸内細菌も嫌気性菌も同じ腹腔内に多い細菌ですが、腸内細菌が基本的にセフトリアキソンでカバーできるのに対して嫌気性菌では完全耐性で全く効果がありません。詳しくは成書を読んでいただきたいのですが、嫌気性菌はβラクタマーゼという酵素を産生し、βラクタム系抗菌薬を壊してしまうからです。
腎盂腎炎くらいなら腸内細菌のみのカバーで良いことが大半ですが、虫垂炎や回腸末端炎などの腹腔内の「ガッツリ」とした感染では圧倒的多数を占める嫌気性菌が起因菌であることがほとんどです。したがって、βラクタマーゼ阻害薬であるスルバクタムが配合されているアンピシリン・スルバクタム(商品名:スルバシリンなど)或いはセフメタゾールを使用しなければいけません。
腹腔内手術の前にこれらの抗菌薬を投与するのは先の SSI に加えて腹腔内の嫌気性菌もカバーするためですね。
さて、嫌気性菌を想定する感染としてカッコ付けで誤嚥性肺炎が書き加えてあります。これは、確かに唾液中の嫌気性菌(この場合は Bacteroides というよりも Peptostretococcu という別の嫌気性菌です)や腹腔内の嫌気性菌が気道に入り込んで感染をきたしていることが「ほとんど」なのですが割合的には少ないものの例外があるためです。
ちょっと考えてみましょう。そもそも誤嚥性肺炎をきたす時点で嚥下機能が低下している高齢者がほとんどです。すると高齢者はそもそも免疫能が低下している、あるいは施設入所中の方が多いわけですから緑膿菌のカバーは必須となります。従って、誤嚥性肺炎に対して empirical にアンピシリン・スルバクタムを使ってしまうと緑膿菌のカバーができていないという点で問題になるわけです。
【どういう感染で想定するか】
施設入所者や高齢者、ステロイド使用者など免疫能が低下している人の感染
【使用する抗菌薬】
ピペラシリン・タゾバクタム(商品名:ゾシン)
【投与量】
まず 4.5g を投与、その後は腎機能で調節。
こう言い切ってしまうと語弊があるのですが、特に施設入所中の高齢者の感染では、誤嚥性肺炎であろうと普通の肺炎であろうと腎盂腎炎であろうと虫垂炎であろうと、基本的にはピペラシリン・タゾバクタム一択です。
どうしてか。それは高齢者の感染の「ほとんど」で起因菌ではないものの「まれ」に緑膿菌感染をきたしている例があり、ただでさえ免疫能が落ちているのにさらにはカバーまで外れているとなると救命が極めて困難になるため、培養結果が出るまでは empirical にカバーしておいたほうが無難だからです。
もちろん広域抗菌薬であるため感受性が判明し次第 de-escalation (より狭い範囲に効く抗菌薬に変えること)が必須です。漫然とピペラシリン・タゾバクタムを続けていると、Clostridium difficile 腸炎をきたし、誤嚥性肺炎の治療は終わったけれどそれが治るまで施設が受け入れてくれないので退院が1週間延長したなどの悲劇を生むことになります。
【どういう感染で想定するか】
免疫能低下者(特に糖尿病患者)の皮膚・骨髄感染、心内膜炎疑いなど
【使用する抗菌薬】
バンコマイシン
【投与量】
腎機能正常ならまず 1g を12時間ごと、3回程度投与して4回目投与1時間前にトラフ値を測定。
トラフ値から濃度予測をし投与量を決定する(薬剤師に依頼しましょう)
腎機能が低下している場合は 0.5g から始めるのが無難。
さて、最後に MRSA です。MRSA は上に挙げた抗菌薬の全てが無効です。これはそもそもβラクタム系抗菌薬と呼ばれる前述の抗菌薬は細菌の細胞壁にあるタンパク質に作用して効果を発揮しているのですが、MRSA ではそのタンパク質の構造が変異しβラクタム系抗菌薬が結合できないからです。
それに対しての切り札はバンコマイシンで、これはβラクタム系抗菌薬とは異なる細胞壁の一部に結合し効力を発揮します。
先に説明したとおり、ほとんどの皮膚常在菌はセファゾリンでカバーできるのですが、糖尿病患者などの免疫能低下者や抗菌薬が頻用されている施設入所者などでは MRSA 感染をきたしている可能性が高いため感受性が判明するまでカバーは必須です。
また、心内膜炎が疑われる症例でもバンコマイシンの投与が必須です。MRSA による心内膜炎は比較的少ないのですが、万一真の MRSA 心内膜炎でカバーのできていない抗菌薬で数日間治療されていたとなると救命は極めて困難となるため必ずカバーが必要です。
なお、バンコマイシンは生理食塩水に溶かした状態で投与速度が 100 ml/h を超えると Red Person Syndrome という顔面や胸部が発赤する症候群を呈することがあるので、必ずそれよりも遅い速度で投与するよう指示することが必要となります。
さて、基本的にこれだけで救急外来入院患者の初療抗菌薬は大半カバーできると思うのですが、最後に余力のある方はそれらに⑥腸球菌(Enterococcus faecalis/ faecium)⑦ ESBL 産生菌 のふたつを加えて覚えて頂ければ、さらに力がつくと思います。